小江戸マラソン10km

こんばんは。
大分寒くなってきました。

先日、川越の小江戸マラソン・10kmのコースを走ってきました!
小江戸マラソンは人気の高いマラソン大会で、申し込み開始日当日に定員が埋まってしまうほどの人気ぶりです。

当日も沿道は、応援・観戦に来ているお客さんでいっぱい。
沿道から常に声援が送られてくるので、少し疲れても不思議と走れてしまいます。
ユニークなキャラクターの格好をしたコスプレランナーや、自分のお店の名前が入ったユニフォームを着たランナーなどそれぞれ個性豊かで、一緒に走っているだけで楽しいです。
そして、分かりやすく目立つコスプレをしているほど、沢山の方から声援をもらえます(笑

今年は、夫のお母さんも一緒にエントリーしてくれました☆
マラソンの他にも富士山登山に挑戦したり、とてもアクティブなお母さん。
去年は一人での参加だったので、仲間が増えて嬉しかったです。
わざわざ遠くから参加していただき、本当にお疲れさまでした。

初めての南アルプス 〜 北岳・間ノ岳へ 〜

 810日から、23日で北岳・間ノ岳に登ってきました。

6月頃「新座山の会」の嶋田さんに声を掛けていただき、目標の北アルプスへのステップアップとして登ることを決めた。決めたのはいいものの、3,000m級の山に登るのは20代に行った富士山以来10数年ぶりで、いろいろと不安も多かった。

そのため、北岳に登る前にトレーニングを兼ねて奥武蔵の「棒ノ折山」や群馬・新潟にまたがる「平標・仙ノ倉山」への山行にも行ってきた。

 登山道具も今回はしっかり準備していった。高山用のハイカットの靴を持っていなかったので、今後も使うことを考えて購入。その他エマージェンシーシートやマップケース、整理用小物入れなど必要性を感じても、なかなか用意できていなかったものを一通り揃えた。

ある程度準備ができると、心の中の北岳への不安もかなり減り、やはりしっかりと前準備をすることは大切だなと思った。

 そして、いざ北岳へ。1日目は芦安の駐車場から北岳中腹にある白根小池小屋までのコース。時間にして約3時間。途中息も上がったが、少し余裕も残しながら登ることができた。

 

 

 歩いている間、「リリ・リリ・リリ」と涼やかに聴こえてくる鳥の鳴き声があった。小池小屋の手前で声がすぐ間近に感じられ、立ち止まって目を凝らしてみると、きれいな声で鳴いているその姿を見ることができた。つかの間の嬉しい発見だった。

 小池小屋でスタッフに聞いてみると「ミソサザイ」だと言われた。しかし帰ってきてから改めて声の主を調べてみると、あの鳴き声は「メボソムシクイ」だったのではないかと思う。

 

*  * * *

 

 そしていよいよ、北岳・間ノ岳山頂を目指す2日目、朝5時半に小屋を出発した。

最初はハンゴン草やシシウドなどが咲く草の茂みから、ダケカンバの木々の中をジグザクに進みながらひたすら登った。

 

 

辺りは霧に囲まれ、小太郎尾根の分岐まではキツい道がずっと続いた。小太郎尾根から北岳肩の小屋に出ると、それまで霧に囲まれて何も見えなかった視界が一時晴れて素晴らしい景色が目に飛び込んできた。

 

 

そこからさらに登って頂上を目指す。雄大な景色の中を一歩一歩進む。雲海が下に見え、立派な山並みが足元に広がる。そしてついに北岳頂上へ。

 

 

これまでの登りのきつさもあり、達成感に包まれて皆で登頂できた喜びを分かち合った。
目の前には甲斐駒ケ岳が迫り、反対側には見渡す限りの雲海とそのはるか向こうに富士山が見えた。

「北岳に来てよかった。」そう思った。

登る前に不安に思っていた頂上付近の岩場も、実際に来てみると一歩一歩気を緩めずに進めば大丈夫だと分かった。何より頂上での眺めや、山行途中の景色の素晴らしさは登ってみないと分からない壮大さがある。普段、自分のいる世界とは全く別の世界を体感できる、それが山の醍醐味だと思う。

 

 今回の山行でも新しい花や植物を知ることができた。ハンゴン草にシシウド、サルオガセ、マルバダケブキ、それから岩ギキョウにトウヤクリンドウ。どの花・植物も山以外ではお目にかかることのできない珍しいものばかりで、だからこそすぐに忘れてしまい、覚えるのがなかなか難しい。でも仲間と一緒に登ると、その分知識も増えてよりいろんな植物を知ることができる。

 

 最後に印象に残ったエピソードがもう一つ。

北岳山荘に着いてから、空身で間ノ岳まで行きピストンして戻ってきた時のこと。私たちが夕ご飯を食べ終えて部屋でくつろいでいると、後から到着した女の子が一人、部屋に入ってきた。話してみると、日本の大学院に在籍している中国人留学生だそうで、何と塩見岳から間ノ岳を越えて北岳まで一人で縦走してきたのだという。

塩見岳から間ノ岳までは2,0003,000m級の山がいくつも連なっていて、地図を眺めるだけでも気が遠くなりそうな、距離のあるコースである。塩見岳の方から朝5時半に出発し、彼女が小屋に着いたのが夕方の5時半頃なので、北岳山荘にたどり着くまで12時間も歩いてきたことになる。さすがに彼女もかなり疲弊しているようだった。

話をしていてさらに驚いたのは、来年で卒業のため中国に帰らなくてはいけないので、それまでに100名山を目指しているとのこと。中国は大陸の面積も人口も日本の何倍もある広大な国である。そういったところからくるのだろうか、彼女の度胸と根性、そして発想のスケールの大きさにぶったまげた1日の終わりだった。

 

他にもメキシコ人、ドイツ人、マレーシア人や間ノ岳山頂で出会ったトレイルランのお兄ちゃんなど、多種多様な人達と山ですれ違った。山は普段だったら会うこともないような人との出会いがある場所でもあるのだなと、山の魅力をまた一つ発見した登山でした。

*  * * *

おまけの話

今回の山行は2泊2日で行ったのだけど、私は2日間とも夜なかなか寝付けなかった。
新しい環境など旅行先では、寝付けないことが多い私。
眠れないことが分かっているので、睡眠導入剤をもらって飲んだのだがあまり効き目はなかった・・・。

2日目、北岳山荘での夜のこと。布団の中でじっとすること2時間余り。
やはり眠れない。。。
仕方がないので、気分転換に外へトイレに出てみた。
すると、空には満点の星空が。

天の川と思うほど無数の星が大きくひしめいていた。
あまりに星が大きいので、まるでこちら側が星に見られているような気がして少し怖い程だった。

そして流れ星が、すっと目の前を流れた。
1人眠れなかった夜にみた、人間以外のものたちの存在、大いなる自然。
私たちを包み込む、宇宙の交信を見たような気がした。

福島の被災地 視察ツアー 2018

こんにちは。

先月5月末に1泊2日で福島の南相馬へ視察・ボランティアへ行ってきました。

私は普段toi toi toiという新座市の有志の団体で活動しているのですが、その活動メンバーとそれぞれの家族や友人など、子供達を含め総勢13名でわいわいとにぎやかな旅でした。

今回の視察では、共産党のボランティアセンターのある南相馬市浪江町、 そして福島第一原発の周辺を主に訪れてきました。

訪れたそれぞれの地域で、清々しい空気、緑の森林、さらさらと透明な水が張られた田んぼなど、のどかな自然に触れることができ、お会いした方々もみな温かく親しみを感じる人達でした。

3.11の地震原発の爆発がなければ、今も自然と人が共生していたであろう土地で、見たこと、聞いたことを報告したいと思います。

 

※南相馬市 小高区 大悲山慈徳寺の杉 樹齢千年の大杉だそうだ。

 

 

視察の内容は主に、

 

* 1日目  *

 

浪江町請戸小学校見学後、南相馬市ボランティアセンターへ

新婦人 南相馬支部の方々との交流

南相馬市小高区の復興公営住宅で聞き取りボランティア

 

* 2日目  *

 

南相馬市浪江町福島第一原発周辺を中心に共産党
渡部市議による現地被災・復興状況の解説&ガイド

 

といったスケジュールでした。

初日は南相馬市にある、共産党のボランティアセンターを目指して朝7時に新座駅を出発。

今回私たちは空気中の放射線量をはかることができる線量計を持っていきました。
スタート地点の我が家から近い新座市内の小学校では、0.049〜0.053マイクロシーベルト(新座市発表)。高速の途中で降りた茨城県の中郷サービスエリアでは、0.069マイクロシーベルト。

福島に入り、富岡ICで降りた辺りから「 0.37 」「 0.5 」「 1.00 」「 4.00 」と線量計の数値が急上昇。
後から地図で確認したところ、今も帰還困難区域に指定されている富岡町、大熊町、双葉町と重なる場所での出来事でした。
そこからは外の景色も、廃墟と化したガソリンスタンドやコンビニ、人気のない街並が続き、車内にも一時緊張感が走りましたが、福島第一原発を過ぎた辺りから数値が一気に下がり、原発から離れるに従い、「 0.56  」「 0.21 」とどんどん下がっていきました。

 

ボランティアセンターに着いた後は、午後から新婦人の方々や、復興公営住宅の聞き取りボランティアで避難当時の話から現在に至るまでいろいろな話を聞きました。

震災後何度も避難先が変わり、あちこち転々としてやっと戻ってこられた方、

避難先から帰ってきた後も、被災者に支給される賠償金がそれぞれ違うなどの状況のせいで隣近所でも腹を割って話すことができないこと、

土中の放射線量は今でもかなり高く、畑で育てている作物など自分達で線量を計りながら、自分の判断で選別して食べていること、

今でも復興からはほど遠く、先の見えない状況の中で暮らしていることを話してくださいました。

 

 

新婦人の方のお話を聞いていて印象的だったのは、辛いことがたくさんあり、今でも大変な状況にも関わらず皆さん元気でエネルギッシュだったことでした。

線量を計りながらも、稲作作りや手染め用の綿の栽培を始めたことなど、先が見えない中でもそれぞれできることを見つけて活動していることや、そして最後にはやはり人間しかいない、人と人との繋がりが大切なのだと話されていたことが心に残りました。

 

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2日目は朝から、日本共産党南相馬市議である渡部寛一さんに、マイクロバスで現地を移動しながら被災状況、復興状況などをお話していただきました。

最初に通ったのは、放射線で汚染された除染土を集めた仮置き場。

黒いビニールに詰められた除染土がいくつもいくつも積み上げられた道の真ん中をバスで通りました。

黒いビニールにより、放射線が外に漏れでないようになっているとのことで、持参した線量計はその時0.1マイクロシーベルトを指していました。

※仮置き場の除染土はこの後県内の中間貯蔵施設に数十年保管した後、最終処分場へ持って行くとのこと。最終処分先は現在もまだ決まっていない。

 

その後浪江町・請戸小学校の子供達が歩いて逃げたという、大平山霊園へ。

高台のようになっているその場所からは 、すぐ向こうに海が見えました。

そして請戸小学校のさびれた建物も遠くに見えました。

私たちは前日に、今はもう廃墟となってしまっている請戸小学校も見学していました。海岸から近い請戸小学校は津波に飲み込まれた学校の1つでした。

校舎の時計は地震発生から55分後の15:40分の辺りで針が止まったままになっていました。

 

※廃墟となった請戸小学校 時計の針が津波が来た時間のまま止まっている

 

つまり、地震発生から学校に津波が押し寄せてくるまでに約50分くらいの時間があったということらしいのですが、その間に学校の適切な避難指示で大平山に逃げたおかげで、教員も含め生徒全員が無事だったそうです。

 

大平山は海から続く平地から、そこだけ数百メートル高くなっていて、辺り一面を見渡すことができました。

震災前には一つの村があったというその場所は、今はもう一面の野原で、キジやいろんな鳥のこえがあちこちから聴こえて、ただただのどかな風景でした。

 

その他、放射線に汚染された廃棄物の処理施設や、いくつかの小学校が一つに統合され仮の学校として運営されている小学校などあちこち案内していただきました。

ガイドしながら渡部市議は、東電と国が処分に困っている汚染水を水で薄めて福島の海に流そうとしていることなど、今でも福島に負担が押し付けられようとしていること、避難指示が一部解除され人々や暮らしも少しずつ戻ってはいるが、復興したとは言えない状況であること、そればかりか今後の見通しの立たない、先行きの見えない中にいることを訴えておられました。

 

その日は津波という大自然の前には、人間はどうすることもできないということ、そして原発が一度大きな事故を起こせば、そこは永遠に人が住めない場所になってしまうこと、そしてその状況の中でも、今もまだ戦いながら生きている人達がいるということを目の当たりにしました。

 

このことことは決して他人事ではなく、自分達の日常はそうした現実と隣り合わせなのだということ、そうした現実を見て見ぬふりはできないということを今回の旅は思い出させてくれました。

 

” 7年経ってもまだこれしか復興していない。こんな状況なんです。

今日は来てくれてありがとう。また来て下さい。”

 

涙ながらにそう言っていた渡部市議の言葉がまだ頭に残っている。

時給自足の生活への第一歩!?

前々から時給自足の生活に憧れがあり、それと同時に少しでも家計の足しにできればと昨年から畑を始めました。
最初は、夫の知人の方から畑をやってみないかというお話があったのがきっかけでした。
夫がベランダでの家庭菜園をやっていたこともあり、試しにやってみようかと二人で始めました。

昨年は、春菊、ほうれん草、玉ねぎ、長ネギ、大根、にんじん、ブロッコリーなど失敗してもいいという気持ちで、最初からいろいろチャレンジしてみました。

成功したのは、春菊、大根、にんじん。

畑を耕してから、植え付け、種まきはある程度ちゃんとやったものの、その後はたまの草取りくらいでほとんどほったらかしだったにも関わらず、自然の力でぐんぐん大きくなってくれたのが、春菊、大根、にんじんでした。
それに加え、前に畑を耕していた方が残した、茄子やピーマン、里芋なども棚からぼたもちの形で収穫できました。

ブロッコリーは母に少し手伝ってもらい、小ぶりのものがなんとか収穫できました。

写真はつい先日収穫した、畑の野菜達です。
昨年秋に種を蒔いた子達です。

コマグラカフェ

雪が降ってからの休みの日、吉祥寺に行くことをふと思いついて行ってきた。
もともと買い物が目的だったけど、雪景色を楽しみたかったので、井の頭公園を散歩 → 買い物 → カフェ というコースで行くことにした。

カフェは、食べログであらかじめチェックしておいた「 コマグラカフェ 」。
吉祥寺北口から広がる商店街の一角にあるお店だ。
路地に面した、古い建物の3階にお店があって、看板がそこにカフェがあることを教えてくれる。
古びた階段を登って、お店にのドアをあけると、中はほこっりするような居心地の良い空間になっていた。


イチジクとガトーショコラのケーキ、それから屋久島産の”和紅茶”を注文した。
出てきたガトーショコラは濃いエメラルドグリーンの器に盛られて出てきた。
上には黄色い花びらがのっていて可愛らしい。

イチジクとガトーショコラのケーキ

口に運ぶとチョコレートの濃厚な味わいが広がる。
一番手前に添えられている、黄土色のものがイチジク。
ケーキの中にも入っていて、ナッツのような食感で美味しかった。

街の中を歩いていても、若者の街という印象の吉祥寺。
店内も若い人が多く、それぞれに話に花を咲かせていた。
時々会話に意識をひっぱられながらも、本を読んだり、
ノートにメモをとったりして過ごした。

コマグラカフェの建物から、道を一本はさんだ向かいの建物には
「イルカッフェ」というカフェがある。
今度はそこにも行ってみたい。
新しいカフェに出会いに、また吉祥寺に来ようと思った。

石垣島〜沖縄の旅 – nico stay

2日連泊した宿「nico-stay」はインターネットでたまたま見つけた宿だ。
広々とした空間に、窓から海が見える、眺めの素晴らしい宿だ。
その場所でしか感じられない自然を感じられる場所であることが、サイトを通じて伝わってきた。

実際、とても素敵な宿だった。

車でぐんぐん坂道を登っていくと、可愛らしいオレンジ色の建物が見えてくる。
車を停めると、玄関のシーサーがとても愛嬌のある笑顔で出迎えてくれる。

 

そのシーサーの間を通り、グリーンや黄色の色鮮やかな大きな葉っぱのトンネルをくぐる。
トンネルを抜けると、視線の先にすぐ川平湾が広がってみえる。

そう、ここはnico-stay。思わず笑顔が広がる。

到着した私たちに、最初に挨拶してくれたのは、ゴールデンレトリバーのくるくる。
続いて現れたのは背の高い、浅黒でバンダナの良く似合う宿のご主人。
とても穏やかだけど、隙のない、不思議なオーラを持った方だった。

案内してくれた部屋は、無垢材の床や木の家具など、主に自然素材を使用した
とても心地のよいさっぱりとした内装で、手入れの良く行き届いた素敵な空間だった。
とてもさりげないけど、各所にこだわりが感じられる。
一つ一つ、とても良く考えて作られている宿だと思った。

川平湾を窓から一望できる場所にあるこの宿のすぐ後ろには、於茂登岳がそびえていて
自然の豊かな場所にあるだけあって、朝も夜も沢山の生き物達の声が聞こえる。
夜さかんに聴こえていた「ホー、ホー」という鳴き声はコノハズクだと教えてもらった。

朝食もとても美味しかった。
ふわふわの卵料理に、緑色がきれいな、新鮮な野菜料理がお皿に並ぶ。
大きな窓から朝の光が差し込み、刻々と移り変わる空の気配を感じることができる。
この朝食もやどの主人が作って用意してくれたものだ。

身体にいいご飯に、美しい朝日が差し込むこの空間がとても清浄な場所に感じられた。
清浄な空気の中で静かにご飯をいただく。

最終日には宿のアイドル(?)である、やはりゴールデンレトリバーのオージローが
私たちを接待してくれた。

大自然の中の、手入れのよくされた、素敵な宿を私たちは後にした。
今度泊まった時は、シーツと毛布を間違わずに寝ることができるだろう。

石垣島〜沖縄の旅 – ホタルツアー

石垣島に着いてから2日目の夜、友人が行っているホタルツアーに参加した。
その日の参加者は全部で4人。
夕暮れ時の時間に山の麓へと案内された私たちは、ホタルを見るときの
注意事項など説明を聞いてから、森の中でホタル達を静かにまった。
本州とは大分違う、太い声のセミ達の声がやんで少しすると、小さな光が
チカチカと光り始めた・・・。

石垣島の空気はとても「濃い」気がする。
島について、最初の夜は部屋の中にいても何か得体のしれないものがそこらへんに
いるような気がしてなかなか寝つけなかった。
ホタルツアーで案内された場所は、周りにうっそうと気が生い茂っている、
夜だと少し不気味な所で、だけど沢山の生き物達の気配が感じられる場所だった。

最初はかすかに光っているのが見えるだけだったホタルの光が、どんどん増えていく。
光っているのは、主にオスでメスにアピールするためとコミュにケーションをとるため
なんだそう。
地面を這う幼虫も光るが、この場合は外敵から身を守るため。
オスのホタル達がこの時ばかりと、メスを求めて懸命に光る。
ガイドである友人は、「ホタルの合コン」と例え話をしていたが、
まさしくそうだなと思った。

夫が、飛び方の違うホタルがいることに気付く。
よく見ると、光の色も微妙に違うらしい。
この日、私たちが見たホタルは3種類(だったと思う・・・。)
ヤエヤマヒメホタルとキイロスジボタル、もう一つは、、すみません、
名前を忘れてしまいました(^^;)
いずれもオスのホタルで、メスのホタルはやはり光るらしいのだけど
葉っぱの陰に隠れていて見つけるのはとても難しいのだそう。

圧倒的多数のヤエヤマヒメホタルはチカチカと光るけど、
キイロスジボタルは、はかなげながら点滅せずに光ります。
一言に「ホタル」といってもいろんな種類がいるし、
光り方も違うんですね。

ガイドの友人は、ホタルの保護にも力を入れていて、ホタルを守るために
人工の強い光(懐中でんとうや、ヘッドライト、そして車のライトも)
は持ち込まないようにということを、再三言っていた。
ホタルの鑑賞中もライトをつけた車が、何度か道を通り過ぎていったが
車のライトもやはり強い光であるため、ホタル達を刺激してしまうらしい。
強い光で刺激されると、ホタル自身が反射的に光ってしまい、エネルギーを
消耗してしまうのだそうだ。
夜中に車で移動する際、何も知らなければ、ホタル達が住んでいるその道を
通るだけで、自分自身が簡単にそういった無神経な車の仲間入りになってしまう。
生き物(特に生息の限られているもの達)に接するときは、その生き物について
知ることが大切だ。

ツアーの最後に、みんなで目をつぶってその場で耳を澄ます。
カエルにコウモリ、コノハズク・・・そして虫達。
静かにしていると、本当に沢山の生き物達の声が聴こえてくる。
私という存在も、そんな生き物達や、大きな自然の中に生きているのだ
ということを観じることができた夜だった。

石垣島〜沖縄の旅 < タバカー浜 > 

石垣島初日、2日目と川平湾へ宿泊した。
初日は泳げるようなビーチにたどり着くことができず、翌日、おススメのビーチを宿の主人に教えてもらう。

浜までは車で向い、近くに車を停め歩く。
草の生い茂ったトンネルを抜けると、そこにはエメラルドグリーンの美しい海が。

海で泳ぐのは二人とも数十年ぶりだったので、彼と二人で少年少女のようにはしゃいで海に入る。
海水は少し冷たく海に入る時は一瞬冷やっとした。

水中めがねをつけて、海の中で目を凝らすとすぐに小魚達の群れが視界に入ってきた。
黒い魚に青い魚、シマシマ模様の魚に、黄色の魚。
図鑑でしか見られないような魚達が、手を伸ばせばすぐ届くような距離で泳いでいることに嬉しくなる。
濃い青色をした美しい魚は、後で調べてみるとルリスズメダイというらしい。

写真にも映っているが、海底に黒ずんで見える所は珊瑚が死んだところに藻が生えたところなのだそう。
後から教わったことだが、近年石垣島の珊瑚は70%が死滅してしまったとのこと。
浅瀬のあちらこちらに、珊瑚の死骸と思われるゴツゴツした岩に黒い藻が生えていて、藻と藻の間に小魚達が生息しているようだった。

浜から数十メートルは足が地面に続く位の浅瀬が続く。
波も穏やかな、エメラルド色の、日本の最南端の海で子供に帰って遊んだ時間だった。

今でも美しい石垣島の海。
この海が以前と比べてどう変わってしまったのか、2、3日滞在しただけの、観光客の私には分からなかったが、この綺麗な海の生態系が壊れ始めていることは自分の生活と決して無関係ではないと思う。

自分の幸せ、生き物達の幸せ、美しい海を保っていくためにどうすればいいか、
きっと全て繋がっていることだ。