扶養控除について調べてみた

2019年から介護の仕事を始めて半年が経った。
以前のパートとは違い、今の介護の仕事は1日の勤務時間が長いのでこのまま働き続けると夫の扶養を外れてしまうことになる。

人から指摘をされ、そうか「扶養を外れてしまうのか・・・」と思い、それはつまり税金の負担が増えるということというのは漠然と分かっているけど、そもそも扶養を外れるってどういうことなんだろう?
今私は何の扶養に入れているのか?

という根本的なことが分かっていなかったので、調べてみることにした。
以下自分なりに、調べたて理解できたことを備忘録も兼ねて簡単にまとめてみた。

まず、「扶養」の意味。 辞書やインターネットで調べてみると、家族・親族に経済的な援助をすることというようなことが書いてある。 私は夫と2人暮らしで、家計収入の大部分は夫の稼ぎに頼っている。
経済的な援助を受けていると言われると、ひっかかる部分はあるが、そこは今は置いておいて、つまり私は「夫に扶養されている人」=「被扶養者」になる。 でここからが収入に関わる大切なこと。

よくみんなが「扶養内で働く」ということを口にしているけど、それはつまり「扶養控除が受けられる範囲内で働く」ということなんだそうだ。そしてもう一つ大切なポイント。

「扶養控除」には「税制上の扶養」と「社会保険上の扶養」の2つの制度があるということ。

「税制上の扶養控除」は収入の少ない配偶者がいた場合、納税者の税負担が軽減される制度。 「社会保険上の扶養」は夫(または親など扶養してくれている人)が会社に勤めていた場合、妻(又は子どもなど被扶養者)は夫の会社の社会保険に加入できる。ということ。 年収によって、控除がどれくらい受けられるか、扶養者の保険に加入できるかが変わってくる。

調べてみて分かったことは、「扶養内」と一口にいっても「社会保険での扶養内」と税金の「扶養控除」では違うものを指していること。
そして、将来受け取る年金に関わるなど一番大きく変わるのは「夫の社会保険に加入できる上限額」の部分で私の場合、夫は国民年金のため、関係ないということが分かった。
「扶養控除」の面から考えると、38万円の満額が控除される150万円前後で働くのがよさそうだが、この控除や税金の仕組み自体は収入が多い人程税金も高くなる。
つまり、税金を払える余裕があるという考えのもと設計されている税制度なわけで、損する得するという考えだけで、年収を考えなくてもいいのではないかと思った。
そして、環境や体力が許せば、「夫の扶養内」にこだわらず自分の生活費は自分で稼ぐんじゃ! と言えるくらいたくましく稼ぐのもありだなということ。

もっと詳しく見ていくと、「配偶者控除」と「配偶者特別控除」とがあったり、国民健康保険だと年収によって夫の保険から外れるとかそういうことがないというのはどういうこのなのだろうかとか、まだまだ疑問点は残るのでその点は次回また追記していこうと思います。  

初めての北アルプス 燕岳 〜 大天井岳 〜 槍ヶ岳

2019年夏。
ずっと憧れていた北アルプスへ、初めての山行。
新座山の会のメンバー4人で訪れた。
3日目の朝に槍の穂先からみた景色は素晴らしかった。

槍の肩から見た朝日

 

どこまでも見渡せる空。
さえぎるものがなく、眼下に山々が見える。
北アルプスは初めてで、そこから見える山がなんという名前の山なのか言うことができなかったが、これからその山々を登ることになるかもしれない。
今回の燕岳から槍ヶ岳までへの縦走の軌跡を歩いたルートや持っていったものなども含めふり返ってみようと思う。

☆今回の登山ルート

【1日目】燕岳登山口から燕岳を経て、大天荘へ
◯ 総コースタイム 11時間、標高差+1400m

中房・燕岳登山口(06:50)・・・合戦小屋(10:45)・・・燕山荘(12:27)・・・燕岳(13:00)・・・燕山荘(13:54)・・・大天荘(17:50)

【2日目】喜作新道を縦走、西岳から東鎌尾根を経て殺生ヒュッテへ
◯ 総コースタイム 9時間50分
大天荘(06:30)・・・ヒュッテ西岳(11:00)・・・水俣乗越(13:15)・・・殺生ヒュッテ(16:20)

【3日目】槍ヶ岳登頂、槍沢を下り上高地へ下山
◯ 総コースタイム 10時間30分、標高差-1680m

殺生ヒュッテ(04:10)・・・槍ヶ岳山荘(05:15)・・・槍ヶ岳(6:00)・・・殺生ヒュッテ(8:35)・・・槍沢ロッヂ(10:30)・・・横尾山荘(12:10)・・・上高地(15:30)・・・高速バス・・・川越(20:50)

☆ 今回準備した防寒着
・厚手のフリース → 今回はあるものを持っていったが、もっと薄手のタイプだと荷物軽量化になるかも。
・薄手のジャケット
・薄手の綿Tシャツ

☆今回初めて用意したもの
・虫さされ用ムヒ
・ケガの際の化膿止め(ドルマイシン軟膏)
・ヘルメット

☆持っていかなかったが、今後必要だと思ったもの
・足の湿布薬

 

8月4日(日)深夜に竹橋駅から毎日アルペン号に乗り込み出発。
バスの中は窮屈で、休憩の度に目が覚めてしまい熟睡はできなかった。
そして朝4時半頃だっただろうか、安曇野市の中房温泉へ到着。こんな山奥だけど辺りは、同じく燕岳山頂を目指す人や他のコースを目指す人でごった返していた。
寝不足で、バスを降りたときはだるかったが朝ご飯を食べているうちに目が覚めてきた。
準備体操をしていざ出発!!

 

燕岳登山口の標識

 

7kgから下手すると8kgくらいあるリュックを背負って登り始める。
荷物を準備している時から、こんな重い荷物を背負って北アルプス縦走なんてできるのだろうかと不安だった。
しかしいざ歩き始めてみると、案外歩ける。
登山リュックは、重みを腰が支えてくれる構造になっているのでそのおかげもあるだろうし、そして人間にも環境に順応できる力が備わっているのだと思う。そんなことを考えながら、地道に一歩一歩進む。

中房温泉から燕岳山頂へと続くこの山道は、北アルプス三大尾根と呼ばれる急登で「合戦尾根」と呼ばれている。
こまめに休憩を入れながら歩いたが合戦小屋に着いた時にはすでに右ふくらはぎが痛かった。
そして、仕事の夜勤明けで仮眠をとってすぐに出てきたKさんもかなり疲れているようだった。

スイカを食べ、さらに頂上を目指す。
登って登って、ついに燕山荘へ。
最後の登りがきつかったが、そんな疲れを吹き飛ばすくらい素晴らしい景色が広がっていた。
若者たちに人気だという燕山荘。カラフルなテント達が山頂付近からも見えていた。

 

燕山荘からの景色

 

燕山荘のテント場

 

合戦尾根登山道から見えた燕山荘

 

そして燕山荘についてからがまた長い道のりだったのだが、1日目のその後の行程を以下の通り。

◯  14:00お昼を食べて、空身で燕岳山頂へ

◯  休憩していた2人と合流後、大天井岳を目指し縦走開始

◯  17:30 大天荘へ到着(この日は大天井岳山頂は登らず)

燕山荘から大天井岳への道のりは、上まで登りきった後の縦走路なので、そこまでのアップダウンはないにせよ、体力的にはかなりきつかった。
疲れがかなり出てきていて、右ふくらはぎも痛かった。
私は持ってきていなかったが、Tさんに湿布をもらう。
メンバーのKさんもかなり呼吸が粗く、こまめに休憩をとった。途中から大天井岳の山容がやっと見え始め、喜作レリーフの分岐までたどり着いた時にはもうすっかり日も暮れて、辺りはガスに囲まれ始めていた。

 

喜作レリーフ

 

そして喜作レリーフからの最後の登り500m。この500mがきつかった。
みんな疲れきっていた上に、なかなかの上り坂で足元もがれ場で歩きづらい。
それまで足取りの軽かったTさんもここで急遽高山病になってしまう。
かたつむりのような歩みでなんとか大天荘へたどり着く。
小屋の明かりがなんとも暖かく、ここまでたどり着くことができたことに心の底からほっとした。
体力の限界に挑戦した一日だった。

大天荘

 

2日目の朝も快晴。
昨日疲れきっていたメンバーも、一晩寝て疲れもいくぶんか回復。
私はいつもの通り、10時頃まで眠れなかったが湿布のおかげで右ふくらはぎの痛みはすっかりとれていた。
次回のロングコース登山では、湿布を持っていこうと思った。
そして、山小屋からは雲海を染める朝日が見えた。

 

大天荘からの朝日

 

朝一番で大天井岳頂上まで登り、そのまま槍ヶ岳へ向けて縦走開始。
大天井ヒュッテ、ビックリ平を経て喜作新道を歩いているあたりでは、青空の下に槍ヶ岳に連なる緑色の山脈がくっきりと見えた。その雄大な景色を右手に見ながら道を進んだ。

喜作新道から見た槍ヶ岳

 

ヒュッテ西岳でお昼を食べ、水を補給。そこから水俣乗越まではかなり急な崖のような所を下へ下へと降りていった。水俣乗越まで100m以上の標高を降りただろうか。この日のわたしたちの目標地点は槍ヶ岳山荘だったので、下った後には当然登らなければいけない。

水俣乗越ではTさんが高山病の心配があったため、1人先に下山することになった。
Tさんとはそこで別れて、わたしたちは予定通り槍ヶ岳へと進んだ。
そこからは、東鎌尾根と呼ばれる道を歩く。その名の通り、鎌のように細く、なかなかの傾斜のある道が続く。
Kさんもかなりバテながらもがんばり、なんとかヒュッテ大槍へと出る。
体力の消耗も激しく、Kさんはそこから後からゆっくりと歩いて来ることになった。そして、ヒュッテ大槍から少し進んだところで問題が浮上。
予定では槍の穂先には登らず、迂回して槍ヶ岳山荘までいくはずだったのだが、道はそのまま槍の穂先まで続いているように見える。このまま行くと槍の頂上を越えて行かないと小屋までたどり着けないという懸念が出てきた。

ヒュッテ大槍を過ぎた地点から見た槍ヶ岳。ここからは槍ヶ岳山荘へ迂回できるルートがあるのかどうか判断できなかった。

 

Kさんはここまでの時点で体力的にも限界に近く、時間も15:30を回っていたので予定していた槍ヶ岳山荘はあきらめて、殺生ヒュッテへ泊まることになった。
帰ってから調べてみたが、東鎌尾根から槍の穂先まで登らずに迂回して槍ヶ岳山荘まで行けるルートがあったようだ。

昨日の大天荘は人気の小屋ということもあり、就寝時間を過ぎてもうるさかったが、殺生ヒュッテは泊まる人も少なく、静かでとても落ち着くことができた。
水や充電器、そしてヘルメットのレンタルも宿泊者は無料とのことでサービスがよくなかなか居心地のいい小屋だった。

8月8日(木)、3日目は朝4時に小屋を出発し、槍の穂先を目指す。
この日も運良く天気は良好。山荘のある、槍の肩に着く頃にはちょうど朝日が見えた。

そこからヘルメットを着装し、槍の穂先へ。
ゴツゴツした岩の急斜面を鎖とはしごを頼りに登る。
こんなに高い場所ではしごを登ることなんてないので、やはり少し怖かった。
一段一段慎重に登る。
ついに槍の頂上へ出た。

槍ヶ岳頂上。登頂を喜ぶ。

 

槍ヶ岳頂上からの眺め。大天井岳(?)方面

 

槍ヶ岳頂上。穂高岳方面。右側に釣り尾根らしきものが見える。

 

そこからはあらゆるものを見渡すことができた。
まだ夜が明けたばかりの霞みがかった空。
澄んだ冷たい風。
槍ヶ岳を囲む山々。山の稜線。雲。
ここまで自分の足で登ってきた達成感。
そして、こういう場所に登ろうとチャレンジしてきた先人達のファイトと、人間の底力を見た気がした。

槍の穂先から降りて殺生ヒュッテに一度戻り、そこからはかなりのスピードで下山していった。槍ヶ岳をふり返りながら、大曲の分岐を経て槍沢ロッヂまで一気に歩いた。

 

途中川のすぐ横を通る道もかなりあり、日が照りつける中涼しさを横で感じながら歩いた。
横尾山荘で待っていてくれた土岐田さんと合流し、横尾山荘から上高地バスターミナルまで、とにかく歩きに歩いた。私は3日目で体力的にもかなりへばっていたが、帰りのバスの時間がせまっていたためそんな泣き言を言うこともできず皆についていくのに必死だった。
おかげで、3時50分に川越まで連れて行ってくれるバスに間に合った。
最後は足が棒のようだったが、みんな本当によくがんばって歩いたと思う。
その日の歩行数は1日で約4万歩だったそうだ!!

北アルプスの美しい景色とともに登ってくだって、歩き通した3日間だった。
今回の山行で最も印象に残ったことは、Kさんのファイトである。
初日からかなりバテ気味だったにも関わらず、最後まで歩き通したKさんのファイトに感服した。
福祉の仕事に看護師として携わっているKさん。
大変な中でも、前向きさを忘れずに進んで行く姿が見えるような気がして、私も見習いたいと思った。
そして、無事に帰ってくることができたことと一緒に山に登ってくれたメンバー3人に感謝したい。

6月の高水三山


6月16日(日)、今回は奥多摩の高水三山へ。
今年は梅雨が早く、今週も雨が多かったが日曜日は梅雨の合間の晴天日和に。
このところ、やむおえない事情で予定していた山へ行けなかったり、中止になったりでしばらく山に行けていなかった。山に行きたい気持ちがうずいて、時間の合間を縫って急遽計画。時間があまりなかったので、地元の駅からアクセスもよく、温泉もある山を探していて、高水三山に決めた。
そんなこんなでスタートした山行だった。

普通は、山に行く日は朝早く家を出るのだけど、今回は前の日もダラダラと夜1時過ぎまで起きていて、当然当日の朝はやっとこさ、8時に起床。9時に家を出発という超のんびり、マイペース山行。これは1人で山に行く魅力の一つである。(本当は早朝出発は山の鉄則です!慣れてない方は参考にしないでね!)

青梅線に揺られて軍畑の駅に着くと、もうすっかり日が高くなっていた。
しかし、あわてない。
スタートして、最初から方向を間違える。軍畑の改札は一つしかないのだけど、出口をでると南側に出てしまうので高水山の方に行くには、一度踏切を渡って反対側へ出ないといけない。これは次回の時にも覚えておきたい。
踏切を渡ってから、車道のある太い道をしばらくあるく。大きなカーブを過ぎて橋が見えてくると、そこが最初の分岐点の平溝橋だ。

平溝橋を左の分岐へと進む。
ずっと川沿いを歩いていくので、常に川の音が聞こえて気持ちがいい。
昨日雨が降ったせいか、川の水量はかなり多いようだった。

その後高源寺前の分岐を右へ。さらにずんずんいくと、アスファルトから土の山道へと変わるところに出る。
細かい道案内はここから割愛させていただく。

高水山へは、思っていたより長い道のりでコースタイム通りに行けば1時間半で行けるところを2時間以上かかった。
久しぶりの山だったことと、休憩を多くとったせいかもしれない。

* * * *

高水山山の印象に残ったポイント

・常福院

軍畑駅から高水山を目指した場合、高水山山頂手前にあるお寺。
趣があり、ゆっくり休憩できる(トイレもありました。)
岩茸石方面へのルートが、どちらに行けばいいか少し迷いましたが、
看板横の道がそうです。

・岩茸石山山頂

思っていたより眺めが良かった!
岩茸石山まで行けば、山頂の景色も楽しめます。

・登山道

高水山山頂付近の道はとても気持ち良かった(まだ体力があったからかな。。。)
岩茸石山→惣岳山→御嶽駅の下り道はあまり変化のない山道で少し飽きました。

惣岳山から御嶽駅への登山道を、やっとこ下り終えて帰路についた。
山は標高ではない。そんなに高くない山と思ってすこしあなどっていた。
が、さすがに3つの山に登るのは大変だった。

いいぐあいに疲れて、帰り道に河辺駅の梅の湯に寄ってから帰った。

川苔山

2019年4月14日(日)、奥多摩にある川苔山に行ってきた。
私の住んでいる地域でも樹木に新しい芽がぐんぐん出てきて、ぐっと春らしさが増してきた。
この時期は新緑に心が弾んで、いつも山に行きたくなる。

1人で行こうと思って、計画書なるものを初めて自分で作成してみた。
川苔山は初めての山で、コースタイムや駅までの道のりまで自分で考えるのは難しそうだったので、手持ちの本を参考に作成。
山の会に入るまでは、自分の頭の中で計画が分かっていればよかったのだけど、改めて紙に書き起こしてみると何故か少し緊張した。
1人で行こうと思っていたのだけど、話の流れで「新座山の会」の方が一緒に行ってくれることになり、2人で行くことになった。

当日、山頂で食べられるようにと前日から用意したお弁当をうっかり忘れる。
しかし、電車の中での話も弾み、楽しさの方が断然上回る。お昼も奥多摩駅についてから、最寄りの商店で買うことができた。

奥多摩駅の1番乗り場から、西東京バスに乗車。
「川乗橋バス停」で降りる。
山の気温は街よりも大分低くなる。4月中旬のこの時期でも空気はひんやり冷たくて、寒かった。

バス停を降りてのスタート地点は、すぐそばを川が流れていて、そこからひんやり冷たい冷気が流れてきている気がした。少し寒いけど、空気は澄んでいて心地いい。
そしてゆっくりと歩き始める。

百尋の滝までは、沢に沿って歩くコースが続き川の音を感じながらずっと歩いた。
今回は、植物博士のように詳しい方が一緒だったので、わたし1人だったら見過ごしてしまったような、本当にささやかな可愛らしい花や植物を見つけたり、写真を撮ったりしながらきままに歩いた。

覚えたのは、「猫の目草」。

上の写真は上から「猫の目草」「よごれ猫の目草」「シロバナ猫の目草」。
川苔山は水が豊富な山だし、水の近くが好きな植物かな?
他にも「エイザン スミレ」や「ハシリドコロ」「キブシ」など覚えた。いつまで覚えていられるかな・・・。

細倉橋にはトイレがあり、そこからアスファルトの道が山の道へと変わる。
小さな滝がいくつも現れて、百尋の滝までは本当に楽しい道のり。
そして百尋の滝へ。

「あ〜マイナスイオン!気持ちいい!」

少し休んでから出発。
百尋の滝の分岐からは、アップダウンがだんだんと厳しくなってくる。
少し沢から離れて、山へと入って行く道を登って行く。森の中を進み、「足毛岩の肩」の分岐の手前にある水場で再び沢へと降りてくる。
「足毛岩の肩」の分岐からは川苔山を巻きながら進むわりと平坦な道が続く。アップダウンであがった息を少し整えることができた。
予想外だったのは雪が残っていたこと。途中からは完全な雪道になってしまったが、春の息吹の中で雪に出会えたことは嬉しかった。
巻き道が終わってからは、直登で山頂を一気に目指す。きつい坂道。足の速い山本さんにひっぱられ、あっという間に山の稜線へ。そこから横に折れて、更に山頂へ。そしてついに登頂。
山頂で食べたお昼はとても美味しかった。

*  *  *  *

帰り道は舟井戸の分岐を経て、杉林の暗い道をひたすら降りていった。
単調な道が続く下り道だった。
大根ノ山ノ神の分岐に出て一休み。小さな祠があり、きっとそれが大根ノ山ノ神様だろう。

そこからは緩やかな下り坂で、山頂付近のひんやりとした空気から、だんだんと里の暖かい空気へと変わってくる。目の前が開けて、春爛漫の里の景色が見えてくればゴールは間近。
ゴールしてから、思わず山本さんと握手。一緒に行った人が健脚だったこともあるだろう。終わってみれば、ほぼコースタイム通りに歩いてこれた。

山に実際に登ってみて、奥多摩の山(川苔山)はまだ目覚めたばかりだった。
しかし、山から降りて里にでれば花々は今だ!とばかりに咲き誇っていた。そんな自然の営みを感じられた山行だった。そしてとても楽しかった。
登山のアドバイスや植物の話に限らず、新しい発見をくれた山本さんに感謝。

【今回のコースタイム】
8:45川乗橋バス停―9:40細倉橋―10:30百尋の滝―12:15川苔山(お昼休憩60分)
13:10川苔山―途中で休憩―15:05大根ノ山ノ神―15:40鳩ノ巣駅
[歩行時間]  約6時間

第4回 toi toi toi おしゃべりカフェ

 

2月3日節分の日、今回で第4回目となるtoi toi toiのおしゃべりカフェがありました。今回のテーマは「 議員のトリセツ 」 「 トリセツ 」は「取り扱い説明書」の略語です。

議員ってどんなことをしているのか、私たちの暮らしとどんなつながりがあるのかということを中心にゲストの梅村さえこさん、そして新座市議の辻みきさんにお話してもらいました。

梅村さえこさんは、衆議院議員を経験され今年の参議院候補でもある方です。 この日はご自身の議員になられたきっかけなどを含めとても分かりやすくお話してくださいました。 自分の原点は「身近な人を幸せにしたい」という気持ちが出発点になっているというお話が印象的でした。 もともと議員になる気は全くなかったそうですが、障害を抱えた弟さんが社会の中に入っていけず苦しんでいる様をなんとかしたいと思ったこと、自分自身が子育てをしていて保育サービスの改善を求める運動などをしている内に自然とその道に入っていったと語っていました。

新座市議の辻みきさんは「道に電灯を設置する」ということ一つをとっても、 道に電灯を設置して欲しいひと、設置して欲しくない人それぞれの立場により要求は変わってくること、政治の場ではその折り合いをつけるのが難しいというお話をしてくださいました。

今回16名の参加者があり、20代の若者から年配の方、LGBTの方も含め多種多様な方がおしゃべりカフェに参加してくれました。参加者の方々にも意見・感想・質問など出してもらい、それぞれ自由に発言してもらいました。

「政治のニュースは、何を聞いたらいいのかいつも困惑する。自分の中には入ってこない。」

「これからの長い人生、自分のことだけを考えて生きるのはもったいないと思った」

「今時の若者は選挙にも行かないし、政治にも関心がないと言われるが、目の前の生活のことで精一杯で、政治に興味をふりむけるだけのエネルギーがない」 という意見。

「身近な問題や、日々の生活の中でつまずいていることを自分以外の誰かと話し合ったり、解決していくことそのものが政治なのではないか」

「地域の問題を取りあげる運動をしているが、会社の人に知られたら仕事に影響するかもしれないなどの不安がある。そういう雰囲気を感じてしまう自分・この国についてどうなんだろうと思う」

などいろいろな意見・感想が出されました。普段みんながどんなことを考えて生活しているのか、それぞれの生の声を聞き・手作りの美味しいロールケーキを食べながら交流しとても充実した時間でした。「toi toi toi」って何?と思われた方、興味のある方はtoi toi toi のブログもありますので、見てみてください。
☆ http://toitoitoi-niiza.hatenablog.com/

第4回 toitoitoiおしゃべりカフェ

2月3日節分の日、今回で第4回目となるtoi toi toiのおしゃべりカフェがありました。

今回のテーマは「 議員のトリセツ 」 「 トリセツ 」は「取り扱い説明書」の略語です。

議員ってどんなことをしているのか、私たちの暮らしとどんなつながりがあるのかということを中心にゲストの梅村さえこさん、そして新座市議の辻みきさんにお話してもらいました。

梅村さえこさんは、衆議院議員を経験され今年の参議院候補でもある方です。 この日はご自身の議員になられたきっかけなどを含めとても分かりやすくお話してくださいました。 自分の原点は「身近な人を幸せにしたい」という気持ちが出発点になっているというお話が印象的でした。 もともと議員になる気は全くなかったそうですが、障害を抱えた弟さんが社会の中に入っていけず苦しんでいる様をなんとかしたいと思ったこと、自分自身が子育てをしていて保育サービスの改善を求める運動などをしている内に自然とその道に入っていったと語っていました。

新座市議の辻みきさんは「道に電灯を設置する」ということ一つをとっても、 道に電灯を設置して欲しいひと、設置して欲しくない人それぞれの立場により要求は変わってくること、政治の場ではその折り合いをつけるのが難しいというお話をしてくださいました。

今回16名の参加者があり、20代の若者から年配の方、LGBTの方も含め多種多様な方がおしゃべりカフェに参加してくれました。 参加者の方々にも意見・感想・質問など出してもらい、それぞれ自由に発言してもらいました。 「政治のニュースは、何を聞いたらいいのかいつも困惑する。自分の中には入ってこない。」 「これからの長い人生、自分のことだけを考えて生きるのはもったいないと思った」 「今時の若者は選挙にも行かないし、政治にも関心がないと言われるが、目の前の生活のことで精一杯で、政治に興味をふりむけるだけのエネルギーがない」 という意見。 「身近な問題や、日々の生活の中でつまずいていることを自分以外の誰かと話し合ったり、解決していくことそのものが政治なのではないか」 「地域の問題を取りあげる運動をしているが、会社の人に知られたら仕事に影響するかもしれないなどの不安がある。そういう雰囲気を感じてしまう自分・この国についてどうなんだろうと思う」 などいろいろな意見・感想が出されました。 普段みんながどんなことを考えて生活しているのか、それぞれの生の声を聞き・手作りの美味しいロールケーキを食べながら交流しとても充実した時間でした。 「toi toi toi」って何?と思われた方、興味のある方はtoi toi toi のブログもありますので、見てみてください☆ http://toitoitoi-niiza.hatenablog.com/

小江戸マラソン10km

こんばんは。
大分寒くなってきました。

先日、川越の小江戸マラソン・10kmのコースを走ってきました!
小江戸マラソンは人気の高いマラソン大会で、申し込み開始日当日に定員が埋まってしまうほどの人気ぶりです。

当日も沿道は、応援・観戦に来ているお客さんでいっぱい。
沿道から常に声援が送られてくるので、少し疲れても不思議と走れてしまいます。
ユニークなキャラクターの格好をしたコスプレランナーや、自分のお店の名前が入ったユニフォームを着たランナーなどそれぞれ個性豊かで、一緒に走っているだけで楽しいです。
そして、分かりやすく目立つコスプレをしているほど、沢山の方から声援をもらえます(笑

今年は、夫のお母さんも一緒にエントリーしてくれました☆
マラソンの他にも富士山登山に挑戦したり、とてもアクティブなお母さん。
去年は一人での参加だったので、仲間が増えて嬉しかったです。
わざわざ遠くから参加していただき、本当にお疲れさまでした。

初めての南アルプス 〜 北岳・間ノ岳へ 〜

 810日から、23日で北岳・間ノ岳に登ってきました。

6月頃「新座山の会」の嶋田さんに声を掛けていただき、目標の北アルプスへのステップアップとして登ることを決めた。決めたのはいいものの、3,000m級の山に登るのは20代に行った富士山以来10数年ぶりで、いろいろと不安も多かった。

そのため、北岳に登る前にトレーニングを兼ねて奥武蔵の「棒ノ折山」や群馬・新潟にまたがる「平標・仙ノ倉山」への山行にも行ってきた。

 登山道具も今回はしっかり準備していった。高山用のハイカットの靴を持っていなかったので、今後も使うことを考えて購入。その他エマージェンシーシートやマップケース、整理用小物入れなど必要性を感じても、なかなか用意できていなかったものを一通り揃えた。

ある程度準備ができると、心の中の北岳への不安もかなり減り、やはりしっかりと前準備をすることは大切だなと思った。

 そして、いざ北岳へ。1日目は芦安の駐車場から北岳中腹にある白根小池小屋までのコース。時間にして約3時間。途中息も上がったが、少し余裕も残しながら登ることができた。

 

 

 歩いている間、「リリ・リリ・リリ」と涼やかに聴こえてくる鳥の鳴き声があった。小池小屋の手前で声がすぐ間近に感じられ、立ち止まって目を凝らしてみると、きれいな声で鳴いているその姿を見ることができた。つかの間の嬉しい発見だった。

 小池小屋でスタッフに聞いてみると「ミソサザイ」だと言われた。しかし帰ってきてから改めて声の主を調べてみると、あの鳴き声は「メボソムシクイ」だったのではないかと思う。

 

*  * * *

 

 そしていよいよ、北岳・間ノ岳山頂を目指す2日目、朝5時半に小屋を出発した。

最初はハンゴン草やシシウドなどが咲く草の茂みから、ダケカンバの木々の中をジグザクに進みながらひたすら登った。

 

 

辺りは霧に囲まれ、小太郎尾根の分岐まではキツい道がずっと続いた。小太郎尾根から北岳肩の小屋に出ると、それまで霧に囲まれて何も見えなかった視界が一時晴れて素晴らしい景色が目に飛び込んできた。

 

 

 

そこからさらに登って頂上を目指す。雄大な景色の中を一歩一歩進む。雲海が下に見え、立派な山並みが足元に広がる。そしてついに北岳頂上へ。

 

 

これまでの登りのきつさもあり、達成感に包まれて皆で登頂できた喜びを分かち合った。
目の前には甲斐駒ケ岳が迫り、反対側には見渡す限りの雲海とそのはるか向こうに富士山が見えた。

「北岳に来てよかった。」そう思った。

登る前に不安に思っていた頂上付近の岩場も、実際に来てみると一歩一歩気を緩めずに進めば大丈夫だと分かった。何より頂上での眺めや、山行途中の景色の素晴らしさは登ってみないと分からない壮大さがある。普段、自分のいる世界とは全く別の世界を体感できる、それが山の醍醐味だと思う。

 

 

 今回の山行でも新しい花や植物を知ることができた。ハンゴン草にシシウド、サルオガセ、マルバダケブキ、それから岩ギキョウにトウヤクリンドウ。どの花・植物も山以外ではお目にかかることのできない珍しいものばかりで、だからこそすぐに忘れてしまい、覚えるのがなかなか難しい。でも仲間と一緒に登ると、その分知識も増えてよりいろんな植物を知ることができる。

 

 最後に印象に残ったエピソードがもう一つ。

北岳山荘に着いてから、空身で間ノ岳まで行きピストンして戻ってきた時のこと。私たちが夕ご飯を食べ終えて部屋でくつろいでいると、後から到着した女の子が一人、部屋に入ってきた。話してみると、日本の大学院に在籍している中国人留学生だそうで、何と塩見岳から間ノ岳を越えて北岳まで一人で縦走してきたのだという。

塩見岳から間ノ岳までは2,0003,000m級の山がいくつも連なっていて、地図を眺めるだけでも気が遠くなりそうな、距離のあるコースである。塩見岳の方から朝5時半に出発し、彼女が小屋に着いたのが夕方の5時半頃なので、北岳山荘にたどり着くまで12時間も歩いてきたことになる。さすがに彼女もかなり疲弊しているようだった。

話をしていてさらに驚いたのは、来年で卒業のため中国に帰らなくてはいけないので、それまでに100名山を目指しているとのこと。中国は大陸の面積も人口も日本の何倍もある広大な国である。そういったところからくるのだろうか、彼女の度胸と根性、そして発想のスケールの大きさにぶったまげた1日の終わりだった。

 

他にもメキシコ人、ドイツ人、マレーシア人や間ノ岳山頂で出会ったトレイルランのお兄ちゃんなど、多種多様な人達と山ですれ違った。山は普段だったら会うこともないような人との出会いがある場所でもあるのだなと、山の魅力をまた一つ発見した登山でした。

*  * * *

おまけの話

今回の山行は2泊2日で行ったのだけど、私は2日間とも夜なかなか寝付けなかった。
新しい環境など旅行先では、寝付けないことが多い私。
眠れないことが分かっているので、睡眠導入剤をもらって飲んだのだがあまり効き目はなかった・・・。

2日目、北岳山荘での夜のこと。布団の中でじっとすること2時間余り。
やはり眠れない。。。
仕方がないので、気分転換に外へトイレに出てみた。
すると、空には満点の星空が。

天の川と思うほど無数の星が大きくひしめいていた。
あまりに星が大きいので、まるでこちら側が星に見られているような気がして少し怖い程だった。

そして流れ星が、すっと目の前を流れた。
1人眠れなかった夜にみた、人間以外のものたちの存在、大いなる自然。
私たちを包み込む、宇宙の交信を見たような気がした。

福島の被災地 視察ツアー 2018

こんにちは。

先月5月末に1泊2日で福島の南相馬へ視察・ボランティアへ行ってきました。

私は普段toi toi toiという新座市の有志の団体で活動しているのですが、その活動メンバーとそれぞれの家族や友人など、子供達を含め総勢13名でわいわいとにぎやかな旅でした。

今回の視察では、ボランティアセンターのある南相馬市浪江町、 そして福島第一原発の周辺を主に訪れてきました。

訪れたそれぞれの地域で、清々しい空気、緑の森林、さらさらと透明な水が張られた田んぼなど、のどかな自然に触れることができ、お会いした方々もみな温かく親しみを感じる人達でした。

3.11の地震原発の爆発がなければ、今も自然と人が共生していたであろう土地で、見たこと、聞いたことを報告したいと思います。

 

※南相馬市 小高区 大悲山慈徳寺の杉 樹齢千年の大杉だそうだ。

 

 

視察の内容は主に、

 

* 1日目  *

 

浪江町請戸小学校見学後、南相馬市ボランティアセンターへ

新婦人 南相馬支部の方々との交流

南相馬市小高区の復興公営住宅で聞き取りボランティア

 

* 2日目  *

 

南相馬市浪江町福島第一原発周辺を中心に共産党
渡部市議による現地被災・復興状況の解説&ガイド

 

といったスケジュールでした。

初日は南相馬市にある、ボランティアセンターを目指して朝7時に新座駅を出発。

今回私たちは空気中の放射線量をはかることができる線量計を持っていきました。
スタート地点の我が家から近い新座市内の小学校では、0.049〜0.053マイクロシーベルト(新座市発表)。高速の途中で降りた茨城県の中郷サービスエリアでは、0.069マイクロシーベルト。

福島に入り、富岡ICで降りた辺りから「 0.37 」「 0.5 」「 1.00 」「 4.00 」と線量計の数値が急上昇。
後から地図で確認したところ、今も帰還困難区域に指定されている富岡町、大熊町、双葉町と重なる場所での出来事でした。
そこからは外の景色も、廃墟と化したガソリンスタンドやコンビニ、人気のない街並が続き、車内にも一時緊張感が走りましたが、福島第一原発を過ぎた辺りから数値が一気に下がり、原発から離れるに従い、「 0.56  」「 0.21 」とどんどん下がっていきました。

 

ボランティアセンターに着いた後は、午後から新婦人の方々や、復興公営住宅の聞き取りボランティアで避難当時の話から現在に至るまでいろいろな話を聞きました。

震災後何度も避難先が変わり、あちこち転々としてやっと戻ってこられた方、

避難先から帰ってきた後も、被災者に支給される賠償金がそれぞれ違うなどの状況のせいで隣近所でも腹を割って話すことができないこと、

土中の放射線量は今でもかなり高く、畑で育てている作物など自分達で線量を計りながら、自分の判断で選別して食べていること、

今でも復興からはほど遠く、先の見えない状況の中で暮らしていることを話してくださいました。

 

 

新婦人の方のお話を聞いていて印象的だったのは、辛いことがたくさんあり、今でも大変な状況にも関わらず皆さん元気でエネルギッシュだったことでした。

線量を計りながらも、稲作作りや手染め用の綿の栽培を始めたことなど、先が見えない中でもそれぞれできることを見つけて活動していることや、そして最後にはやはり人間しかいない、人と人との繋がりが大切なのだと話されていたことが心に残りました。

 

+ + + + + +

 

2日目は南相馬市議である渡部寛一さんに、マイクロバスで現地を移動しながら被災状況、復興状況などをお話していただきました。

最初に通ったのは、放射線で汚染された除染土を集めた仮置き場。

黒いビニールに詰められた除染土がいくつもいくつも積み上げられた道の真ん中をバスで通りました。

黒いビニールにより、放射線が外に漏れでないようになっているとのことで、持参した線量計はその時0.1マイクロシーベルトを指していました。

※仮置き場の除染土はこの後県内の中間貯蔵施設に数十年保管した後、最終処分場へ持って行くとのこと。最終処分先は現在もまだ決まっていない。

 

その後浪江町・請戸小学校の子供達が歩いて逃げたという、大平山霊園へ。

高台のようになっているその場所からは 、すぐ向こうに海が見えました。

そして請戸小学校のさびれた建物も遠くに見えました。

私たちは前日に、今はもう廃墟となってしまっている請戸小学校も見学していました。海岸から近い請戸小学校は津波に飲み込まれた学校の1つでした。

校舎の時計は地震発生から55分後の15:40分の辺りで針が止まったままになっていました。

 

※廃墟となった請戸小学校 時計の針が津波が来た時間のまま止まっている

 

つまり、地震発生から学校に津波が押し寄せてくるまでに約50分くらいの時間があったということらしいのですが、その間に学校の適切な避難指示で大平山に逃げたおかげで、教員も含め生徒全員が無事だったそうです。

 

大平山は海から続く平地から、そこだけ数百メートル高くなっていて、辺り一面を見渡すことができました。

震災前には一つの村があったというその場所は、今はもう一面の野原で、キジやいろんな鳥のこえがあちこちから聴こえて、ただただのどかな風景でした。

 

その他、放射線に汚染された廃棄物の処理施設や、いくつかの小学校が一つに統合され仮の学校として運営されている小学校などあちこち案内していただきました。

ガイドしながら渡部市議は、東電と国が処分に困っている汚染水を水で薄めて福島の海に流そうとしていることなど、今でも福島に負担が押し付けられようとしていること、避難指示が一部解除され人々や暮らしも少しずつ戻ってはいるが、復興したとは言えない状況であること、そればかりか今後の見通しの立たない、先行きの見えない中にいることを訴えておられました。

 

その日は津波という大自然の前には、人間はどうすることもできないということ、そして原発が一度大きな事故を起こせば、そこは永遠に人が住めない場所になってしまうこと、そしてその状況の中でも、今もまだ戦いながら生きている人達がいるということを目の当たりにしました。

 

このことことは決して他人事ではなく、自分達の日常はそうした現実と隣り合わせなのだということ、そうした現実を見て見ぬふりはできないということを今回の旅は思い出させてくれました。

 

” 7年経ってもまだこれしか復興していない。こんな状況なんです。

今日は来てくれてありがとう。また来て下さい。”

 

涙ながらにそう言っていた渡部市議の言葉がまだ頭に残っている。

時給自足の生活への第一歩!?

前々から時給自足の生活に憧れがあり、それと同時に少しでも家計の足しにできればと昨年から畑を始めました。
最初は、夫の知人の方から畑をやってみないかというお話があったのがきっかけでした。
夫がベランダでの家庭菜園をやっていたこともあり、試しにやってみようかと二人で始めました。

昨年は、春菊、ほうれん草、玉ねぎ、長ネギ、大根、にんじん、ブロッコリーなど失敗してもいいという気持ちで、最初からいろいろチャレンジしてみました。

成功したのは、春菊、大根、にんじん。

畑を耕してから、植え付け、種まきはある程度ちゃんとやったものの、その後はたまの草取りくらいでほとんどほったらかしだったにも関わらず、自然の力でぐんぐん大きくなってくれたのが、春菊、大根、にんじんでした。
それに加え、前に畑を耕していた方が残した、茄子やピーマン、里芋なども棚からぼたもちの形で収穫できました。

ブロッコリーは母に少し手伝ってもらい、小ぶりのものがなんとか収穫できました。

写真はつい先日収穫した、畑の野菜達です。
昨年秋に種を蒔いた子達です。