小布施の旅

夏の終わり頃からだろうか、最近夜一人で過ごすことがとても寂しく感じられるようになってしまった。
これまでは割と一人でも平気で過ごせていた?いや、やっぱり寂しかったけど今ほどは寂しいと思っていなかった気がする。そんな寂しさを募らせていた中、念願の小布施への小旅行へ。

晩年の葛飾北斎が過ごしたと言われる小布施。栗が有名な小布施。
今回旅行に行くまで、そんな小布施のことはほとんど知らなかったのだけど、今回の旅で小布施の歴史に少しだけ触れることができたと思う。

天気は小布施で朝を迎えた初日から快晴でとても恵まれた。
夫は雨男で、山登りなどアウトドアに行くと雨に降られる確率が高いけど、今回は気持ちのいい天気が続き山に囲まれた小布施の町から毎日北信五岳(ほくしんごがく)を眺めることができた。

そう、今回の小布施旅行で一番印象的だったのはこの町から見える北信五岳と雁田山の山並みだったかもしれない。
自転車で町中をこぐと、あちこちで水の流れる音が聞こえる。

りんご畑にぶどう畑。

家々の軒が低く景色を遮るような高いビルもないので、町のど真ん中から遠くまで見渡すことができる。

日の当たる日中は11月上旬でも暖かく、散歩したら気持ちよさそうなほのぼのとした小道が家と畑の間に続いている。

おばあちゃんの家が小布施だったら、帰省の度にここに来ることができたのにと思った。

実は旅の途中何度か夫と喧嘩になってしまい、せっかくの楽しい旅行がぶち壊しになってしまった時間があった。
理由はなんだろう?夫は仕事のイライラを引きずっていたこと、私も今までの寂しい気持ちを引きずっていたところがあったかもしれない。旅行中なのに、夫が頻繁に携帯をいじる姿にイライラし些細なことでぶつかって言い合いになって。正直、この旅行をすごく楽しみにしていたし実際にすごく素敵な町だったので、そんな中で喧嘩になってしまったことが(最近は喧嘩することもあまりなかったのに・・・)余計に悲しかった。

でも、3日目、最後に泊まった高級旅館「枡一客殿」はそんな私達の心を柔らかく解きほぐしてくれた。
客室は広々として、落ち着いた大人の空間で床暖房がじんわりと暖かかった。
施設内には図書室もあり、そこで目星をつけた本を部屋に持ち込んで小布施の歴史に触れたり、うたた寝したりして夕飯までの時間を過ごした。

そしてお待ちかねの夕ご飯。
出てくる料理は一品一品どれも丁寧に作られており、素敵な器に盛り付けられていた。
しっかりとだしが効いた優しい味わいで、お腹のそこからじんわりと身体を温めてくれ、美味しくて思わず笑顔がこぼれた。
ケンカして疲れた私達の心も美味しい料理にすっかりほころんで、これが本物の料理、そしておもてなしなのだなと思った。宿のおかげで、最後の夜に気持ちのいい時間を過ごすことができた。

お土産もたんまりと買い、帰宅の最終日にはこれもやはり行ってみたかった善光寺に寄ってから帰路へ着いた。
長野は楽しく、そしていい場所が沢山ある。
小布施にはまた来たい。今度は喧嘩なしでね。

オリジナルTシャツ

先日、我が家に泊まりに来たかわいいねこちゃんをモデルにしたイラストを描いてみたところ、なかなかよく描けたので、せっかくだからとそのイラストを使ってオリジナルTシャツを作ってみました。

オリジナルTシャツ 前
オリジナルTシャツ 後ろ

これがなかなか良い仕上がりで、我ながら気に入っております。
普通に買うより高くつきましたが、自分で描いた絵が入ったオリジナルTシャツはとても愛着がわきます。

Tシャツを注文する時に注文先の会社から、画像サイズや色の単位(CMYK)の指定があるので、その条件を満たすデータを投稿しなければいけないのが少し厄介でしたが、仕上がりは上々でした!
ちなみに、「TMIX」というオリジナルTシャツ作成サイトで注文しました。
ネット上からデータを投稿でき、1枚から注文できます。

作り方ですが、まず紙にイラストを描く→家にあるプリンターでスキャン→Photoshopに取り込み線が明確に出るように加工→jpgデータで書き出し

データをWebサイトで投稿して、注文すれば完了です!
Tシャツ以外にも、バックやタンブラー、シールなどいろいろなものでオリジナル商品が作れるようでした。
試しにねこのイラストでステッカーも作ってみましたが、ステッカーはいまいちな出来でした。。
次はTMIX以外のサイトで注文してみたいと思います。

山と植物達

今年に入ってから、山にはあちこちよく登っている。
自分一人でも行くし、新座山の会の仲間が関東近辺のいろんな山を教えてくれる。
おかげで、安全にそして童心に帰って自然を楽しむことができている。
山歩きが充実した日は、身も心も潤って日々の生活に張りが出る。
山、そして自然は私にとってオアシスだ。自然がそこにあって、その自然について教えてくれ楽しさを共有してくれる人達がいて、
人間はやはり一人では生きていない、自分を取り囲む生き物・自然があり、人々に支えられながら生きている。
山を通してそいういうことを感じる。ウンチクはこの辺にしておいて、今回は春に登った山とそこで見た美しい植物達を紹介したいと思う。

* * * *
4月には山梨県の岩殿山へ。

まだ芽が出たての新緑の中、澄んだ空気を吸いながら登った。
左上から青ダモ、空木(ウツギ)、ツクバネ空木、馬酔木(アセビ)、深山(ミヤマ)シキミ、耳型天南星(ミミガタテンナンショウ)そして在来種の十二単(ジュウニヒトエ)。
最近知ったことなのだけど、空木の木は様々な種類があるらしく下の写真はただの空木。
その他最近教えてもらったものだけでもマルバ空木、額空木(ガクウツギ)、ツクバネウツギなどがあり
全部は調べていないけど、他にもいくつかあるのだと思う。

青ダモ
青ダモ
空木
空木(ウツギ)

 

馬酔木
馬酔木(アセビ)
深山シキミ
深山シキミ(ミヤマシキミ)

 

耳型天南星
耳型天南星(ミミガタテンナンショウ)
十二単
十二単(ジュウニヒトエ)
* * * *
4月は青梅丘陵にも一人で行ってきた。

天気も良く、山行日和だった。

花植物を見ながら、あっちに行ったりこっちに行ったり気ままに歩く。
一人は気楽でいいのだけど、私は寄り道が好きなので一人で歩いているとコースタイム通りの時間では歩けない。
気がつくとあっという間に時間だけが過ぎて、途中から慌てて歩くことになる。
思い返してみると、私の人生そういうことが多いな。
多分人よりもかなりゆっくりなペースで生きているんだと思う。
だけど、そのことは悪いことだとは思わない。

誰かと一緒に過ごしている時は、相手のペースに合わせることが必要だけど、自分一人の時は一人の時間、自分のペースを楽しむ。

私はよくぼんやりしていると言われるけど、それは思い出したり、空想したり、考えたり、無駄な時間と言われてしまえばそれまでだけど、私にとっては頭を整理してリフレッシュしている時間でもある。

ボーッとしたり、考えたり、時々景色を眺めたり、花や植物を観察したりそういう時間が楽しい。

三ツ葉あけび
西洋十二単(セイヨウジュウニヒトエ)
青梅丘陵からの眺め
青梅丘陵からの眺め
シャガ

 

* * * *
5月には吾野駅から出発し、スルギ尾根から子の権現、そして西吾野へと降りるコース。

雨が降っていたけど、雨の山も幻想的ですごく素敵だった。
下の写真は額空木。雨に濡れて美しく光っている。

額空木(ガクウツギ)
額空木(ガクウツギ)
二人静(ふたりしずか)
二人静(ふたりしずか)
立浪草(タツナミソウ)
藪てまり(ヤブテマリ)
藪てまり(ヤブテマリ)

オススメの本・漫画

最近、読んでいて自分の生き方考え方にもパンチを与えてくれるような、とても面白い漫画や本がいろいろあって
挙げておきたい。

*漫画*

「ランド」山下和美

2021手塚治虫文化賞のマンガ大賞に輝いた作品。
自分が住んでいる「世界」について、「言葉」の果たす役割について考えさせられるんだけど、
やっぱり主人公達の織りなすドラマが面白くてどんどん読めてしまう。

 

*本*

「オーストリア滞在記」中谷美紀

音楽家のオーストリア人の夫と結婚した中谷美紀の日記。
コロナになってからのオーストリアでの日々の生活を丁寧に綴っている。
ガーデニングにハマっていることや自然豊かな環境での生活、夫婦・家族のあり方は一つではないことなどが日記から伝わってきてそういう自然なライフスタイルに憧れるし、インスピレーションをもらう。

*ドラマ*

「大豆田とわこと3人の元夫」
このドラマも夫婦や家族のあり方って様々だなと、既成概念を壊してくれる。
主人公の大豆田とわこさんの生き方が清々しくてスカッとする。
夫婦二人で一緒に観て笑えるドラマ。

*音楽*

「今の時代がいちばんいいよ」前野健太
「Practice for a Revolution」坂口恭平

↑上の二つはアルバムタイトル。二人の音楽はどれもだいたいいい。
毎日聴いてても飽きないし、生活に馴染むのと同時に心を癒してくれる。
坂口さんの曲はyoutubeやsoundcloudでも無料で聴き放題なので、興味持った方は是非聴いてみてください。

「mikrokosmos」「love myself」 BTS

最近韓国アーティストのBTSにもハマってた。
アイドルってあまり好きにならないけど、彼らは既存のアイドルの枠を超えてる。
カッコいいし、メッセージ性に溢れてる。

 

自分の生き方と介護のこと

介護の仕事をしていると、仕事のことなんだけど、それは突き詰めて考えると将来の自分がどういう介護を望むのか、自分自身の生き方について考えることに繋がっていることに気づく。
そのことを最近本当に強く強く感じる。

今私が働いている施設での介護のあり方に、日々違和感を感じる。
でも仕事に対しての違和感、社会や会社から求められることと自分がこうしたい、こういう仕事がしたいと思うことの間にはいつも隔たりがあって、それは介護の仕事に限られたことではなくて、社会に出て働き始めてから、ずっと感じてきた違和感で。
仕事をしていると、どんな職場にいてもどんな職種で働いていてもぶつかる壁がある。

一つ目は、職員同士での話し合い・コミュニケーションが公正、公平に行われていないこと。
本音での話し合いがされていないこと。
妨げになっているのは、その職場の人間関係が見えないヒエラルキーに縛られていること。
「先輩と後輩」「古株と新人」「仕事ができる人とできない人」「女性と男性」「社長(または役職者)と部下」
あらゆるヒエラルキーにがんじがらめの人間関係に縛られて、みんな本音が言えないでいる。
上に立つ者は、自分の立場を守ることで精一杯で下の人達の意見を聞くということがない(又は少ない)。
下の者はやっぱり、自分の立場上、上の者に対して物を言うことができない。日々の現場で感じること、もっとこうした方がいいということを意見した時に、村八分(下手したら吊し上げ)にされるかもしれないという恐怖があり意見することができない。それに、現場で働く職員一人一人が勉強したり意見交換したり、そういう話し合いの場がそもそも介護の現場にはない。
少なくとも今私が働いている職場では一部の人達の間でしか、そういう話し合いがされていなくて、それがオープンになっていない。
そのせいで、より良い仕事やサービスのあり方、自分達にとってもやる気の出る働き方など一番大切なことが宙ぶらりんできちんと話し合いがなされないまま、毎日がどんどん過ぎていく。

二つ目は、会社や職場がこうしてください、このように仕事をしてくださいと求めてくることに対して、自分がこういう風に仕事がしたい、こんな仕事がしたいと思うことが一致しないこと。
この二つ目の壁については、自分の我がままと力量不足からくる点もあるので反省すべき点がこれまであったし、自分自身省みる必要があるところはある。

ただ、介護の仕事をしていて今確信を持ってはっきり言えること、それは今自分が働いている施設で近い将来、自分の両親の面倒をみてもらいたいか。それは嫌だということ。
自分自身年老いた時、今の施設には絶対に入りたくないと思う。それは理屈うんぬんでなく、私の正直な気持ち。
自分や、親が介護される側になった時に、こんな介護をされたくないと思うような介護を自分自身がしているということ。それは、施設の方針でありシステムなので、派遣社員として働いている一介護職員にはどうにもできない部分があるけど、やっぱり一人の職員として何か行動を起こせないか、せめて自分が、ここでなら安心して死ぬまでの時間を過ごせると思えるような、自分の親を安心してみてもられるような施設で働きたいし、そういう介護が提供できる介護士になりたい。

介護の仕事を始める時に考えていたこと、それは上に書いたようなことできっと葛藤が出てくるだろうということ。これまで働いてきた中で社会というものがどういう理屈で動いているのか、だんだん理解できてきて、予想できたことでもある。それは、坂口恭平さんや小池龍之介さんなど私が私淑している人達が教えてくれた。社会は一人一人の人間の幸せのためにある場所ではない。「社会」というものは大勢の人間がお互いにコミュニケーションをとるために作り出した、お互いの認識を共有するための「ルール」であり「空間(場所)」である。
人間一人一人、本来自分独自の独特の世界を持っている。その一人一人が対話するために「社会」が作られたと坂口さんは言っていて、その説明は私にとってとてもしっくりくる。

そして、今の国や政府は国民一人一人の幸せについては、はっきり言ってほとんど考えていない。と言えると思う。一握りのお金持ち、権力者、自分と自分自身を取り巻く者達にとって都合のいいことしか考えないし、行動しない。

そしてさらに言うなら、自分自身も今の状況について違和感を覚えながらも、見たくないことめんどくさいことをそのまま放置して、日々それとなく過ごしてしまっている一人だということ。
今の日本社会、自分を取り巻く状況を黙認・放置している一人だということ。

上に挙げた二つの壁は、今は自分の中で「違和感」「おかしくないか?」という程度のことで済んでいる。でもこのまま何もしないでいたら、自分が年老いた時、もしくは自分一人の力では生きていけなくなった時に、自分の身に降りかかってくることだ。
「こんな介護されたくない」という、今の介護の現状が変えられなければ自分が年老いた時、そういう介護しかしてもらえない可能性がある。
自分の働き方、生き方は当たり前のように自分がどのように死んでいくか、に直結している。

自分らしい働き方がしたいし、自然の中でのびのびと生きていきたい、そして自分も他人も人として尊重し尊重されるような生き方、死に方をしたい。
そのために、今どうするべきか。自分自身の行動が問われているし、将来の自分の死活問題なんだ。

そういう問題提起をしている、仲間達や本・漫画・ドラマ・に触れる機会が最近沢山あって、そういうことに触れる度に背中を押される。ただ見ているだけでは何も起こらない。
「こうしたい」という生き方があるなら、自分が行動を起こさないと。
そう言われている気がして、今日ブログを書いている。
だから、このブログは自分自身の自己満足ではなくて、誰かに読んで欲しいし、こういうことを考えている人間がいることを知って欲しいと思っている。
そしてこういうことについて、意見が違う人とも喧嘩ではなく話し合い、意見交換できたらいいなと思う。

介護職員の日々の日記

埼玉県の特養老人ホームで働いています。

介護の仕事を始めてから、もうすぐ一年半が経とうとしている。

日々の仕事の中でモチベーションがすごく下がることは、どんなに一生懸命働いても自分達が機械の一つのパーツでしかないような働き方、扱い方を強いられること。

施設の方針や、利用者さん一人一人への対応の仕方の柱となるものは施設長・相談員・ケアマネ、そして「常勤」と言われる正社員達が主に決めている。

私は派遣社員として今の職場で働いているけど、派遣社員は施設の方針や利用者さんへの対応について意見を言える機会がない。いや、正確には言おうと思えば言えるけど、自分の置かれている立場からすると意見することはかなりハードルが高い。私からすると職員同士で仕事のやり方について相談する時間やカンファレンス、委員会といったような、意見を交換するための時間・機会をそこで働いている職員全員にしっかりと作って欲しいと思ってしまう。

ただ、今の職場も今年の秋をメドに転職することを考えているのでそれまでに介護士としてしっかり、やるべきことはある程度できるようになっていたいと思っている。

その目標を備忘録としても記録しておこうと思う

・職員同士での意思疎通をしっかり取れるようになる
おかしい、とか疑問に思ったことに対して聞き流すのではなくきちんと確認する習慣をつける

・食事介助、移乗介助、入浴介助など基本の介護を利用者さんの状況に合わせて丁寧に行える

・利用者さんの発熱・異常に気がつけるようになる

・転倒事故、意識消失などの緊急時の対応(バイタル測定、外傷確認など)ができるようになる

・褥瘡、尿(アンモニア)やけ、掻きこわしなどの見分けができるようになる

・尿路感染、混濁尿などよく見られる症状の改善のためにできることが分かる
またそういう症状が進んだ場合、どういう結果になってしまうのか理解しておく

 

書き出してみると、やるべきことは沢山ある。

特養老人ホームの毎日はとにかく忙しい。うっかりしていると、とにかく目の前の作業をこなすだけで1日が終わってしまう。そうならないためにも、具体的な自分の目標を設定して一つ一つできるように、または働きかけが必要な場合は働きかけていきたい。

ピーナッツバターグラタン

2020年秋、ハロウィン。

いつも特に何もせずにいつの間にか終わっているイベントですが、今年は「ピーナッツバター」という珍しいかぼちゃが手に入ったので、そのカボチャをつかったグラタンに挑戦してみました。

大変だったのは、かぼちゃの中身をくり抜くこと。
レンジで何度もチンして柔らかくしてから、包丁とスプーンを使ってくり抜きました。

そして、くり抜いた中身を炒めてクリームソースを作り、それをまたかぼちゃの中に注ぎ込んでオーブンで焼き上げます。

結果は・・・

上手くできましたよ♪
カボチャは見た目よりあっさりした味ですが、クリームソース仕立てにしたのでクリーミーで美味しかったです。

初めてのパン作り♪♪

人生初めてのバターロール に挑戦しました。
と言っても、実は今回は2回目の挑戦になります。

何故いきなりバターロール かというと、坂口恭平さんの影響です。
坂口さんが出している「cook」という本に手作りのバターロール の写真が載っていて美味しそう〜バターロール って家でも作れるんだ!と思ったのと、
“生活水準は下げろ、そして自分の水準を上げろ”という言葉に背中を押されたから。
つまりお金を使わずに、自分で何でも作れるようにってことですね。

で、バターロール 作りです。
前回本当に初めての時は、イースト菌が手に入らずイースト菌なして作ってみたのですが散々の結果に。

今回は3回目で上手く焼けました!!
しかしパン作りは難しい。。
他の料理と違って適当、いい加減が通用しないのがこのパン作りです。
そしてとにかく時間がかかる。。しっかり取り組むと半日がかりです。

今回のポイントは「捏ね」と「発酵」です。
2回目の出来上がりも見た目はそこそこだったのですが、中が半生状態でした・・・。
そこで3回目の時には、”すり込み”という捏ね方を取り入れて生地をしっかりと捏ね、発酵も常温ではなく湯煎とオーブンの余熱を使って温めながら発酵させてみました。

その結果・・・

 

パン作り〜焼きあがり〜

美味しそう〜!! 上手く焼けました!!!

 

パン作り〜成型・発酵〜

こちらは、形を作ったあと発酵させた状態の写真です。
まだ小さいですけど、発酵で少し膨らんでいます。
いい感じです。

 

手間ひまかかる分、パンが焼き上がった後の感動もひとしおです。
でもね・・・。食べてみると分かるんですが、皮が結構堅いんですよ。。
そして肝心のお味の方も・・・う〜ん、、なんか家庭で作るクッキーの味がする。。
ま、でもこれはこれで家庭の味と思えば美味しいです。

 

また作ってみようと思います♪

介護のこと

今月10月22日で介護の仕事を始めてから、ちょうど丸一年。

将来のこと、生活のこと、どんな風に生きていきたいか色々と考えて
恐るおそる、でもパッと始めた介護の仕事。

一年経ってみて、言えること。
介護の仕事は意外と楽しいです。やり甲斐があります。

そして、人間が相手の仕事、しかも体力のないおじいちゃん・おばあちゃん
の生活全般に関わる仕事なので場合によってはその人の生き死にを左右する
責任重大な仕事、それが介護です。

仕事を始めてから、3〜5ヶ月目くらいまでは覚えることもいっぱいで本当に大変でした。
何度か辞めることも考えましたが、職場で知り合った仲良しの職員さんに慰められたり先輩社員の”ありがとう” ”お疲れ様”の言葉に励まされたり、時には利用者さんの言葉に笑ったり、怒ったり・・・。

あともう少し頑張ろうと続けている内に、気がつけば半年が経ちそして1年が経ちました。
介護の業界はまだまだ未成熟で課題も沢山抱えています。
利用者さんの人権の問題、労働者の低賃金・長時間労働の問題。

一言に「介護」と言っても、介護にはいろいろな形がありその中でも
大きく2つに分けると「在宅介護」と「施設介護」があります。
皆さんも良く知っている、お年寄りがお家にいてそこにヘルパーさんが来て
お世話をしてもらうのは「訪問介護」と言って「在宅介護」の方に入ります。

今私が働いている職場は、「施設型」に当たる「特養老人ホーム」になります。
自分の家ではない”施設”に入って介護を受けるので、「施設型」なんですね。

働き始めて分かったことは、特養老人ホームは施設型の中でも安い金額で入居できる分、一つの施設で100人以上とか沢山の利用者さんを受け入れているため、スタッフの目やお世話が行き届かないということです。
少ない職員で、大勢の利用者さんを相手にしなくてはいけないので、
「ベッドから起こす・食べさせる・トイレに連れて行く(オムツを変える)・お風呂に入れる・寝かせる」のお世話をするだけで精一杯で、毎日フロアを駆け回って仕事をしても追いつかないくらいです。
そんな状況ですので、利用者さん一人一人の” ああしたい、こうしたい “といった要望にはほとんど答えることができないのが現状です。
何故そうなっているのか?
十分な職員を配置できるほどの財政がない、そもそも人手不足で働き手がいないというのが原因なんでしょうが、本当のところは分かりません。

そして、最近私が日々の介護で感じる辛さの一つがそこにあります。
たまには外に散歩に連れて行ってあげたい、「この服じゃなくて、お気に入りのあの服が着たい」という利用者さんの要望に応えてあげたい。
それができないことに胸が痛むし、無力感を感じます。

理想論かもしれないけど、もっと一人ひとりの利用者さんの好きなこと、得意なことをさせてあげられたラと思います。自由な環境をもっと作ってあげたい。
月に何回かはお散歩もできるし、時には畑作りをしてみたり、工作をしたり、料理を作ったり、地域の方々と交流したりそういう生きがいの時間を作ってあげられたらといつも思います。
もちろん、認知症の方や体の一部が動かない方もいるのでそういった活動をするには事前の計画を練る必要があるし、労力と時間がかかります。

誰でも歳をとって、老いる時がきます。
自分が高齢者になって、介護される側になった時どんな介護をされたいか。
どんな環境で、どんな風に時間を過ごしたいか、

自分自身と重ね合わせて考えると、このままでいい訳がない。
でもどうしたらいいか。
思ったこと、考えたこと、ブログに備忘録や気づきとしても残していきたい。

私たちが食べているお肉について

最近、衝撃的な事実を知った。
私たちが普段食べている鶏肉、豚肉、牛肉がスーパーに並ぶまで、畜産の現場でどのようなことが行われているのか・・・
衝撃の真実を知ってしまった。

結論から先に言うと、私たちが食べている肉となる(または卵を産んでいる)鶏・豚・牛は酷い飼育環境の元飼われている。
酷いどころか、虐待と言える。
どれ位の割合の業者が、具体的にどこまで何をしているかはまだ詳しく調べていないので分からない。
でもいろいろな記事を読んでも日本の8割近くの業者が、虐待と言っていいような飼育環境で、食用の家畜を飼育しているらしい。
または鶏に卵を産ませているらしい。

「ブロイラー」とか、家畜に「多量の抗菌剤」 を使っているとか、そういうことは聞いたことがあったけど、私たちが普段食べている肉の実情がこれほどまで残酷とは私は今まで知らなかったし、関心も無かった。
そしてそのこと自体が恐ろしくもある。

海外では、「アニマルウェルフェア」と言って、食用の家畜にものびのびと生られる環境を整えようという流れになってきている中、
日本はその流れに完全に取り残されているよう。

海外ではそうなっているから、ということではなく、やっぱり人間だって元は同じ生き物、動物である。
一つの動物に過ぎない人間が、他の動物を酷く苦しめてまで生きていく権利はない。

私にできることとして、このことをもっと調べて知ること、そしてそれを誰かに知らせること、そいうったお肉を食べないようにすること。
今日からでもやっていきたい。

参考 NPO法人アニマルライツセンター

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